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山田屋ヒストリー
大正7年 | 創業者 山田由弥が神楽村へ入村 |
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昭和22年 | 神楽村(旭川市合併前)第一号となる酒類小売免許取得 |
昭和40年 | 山ヨ山田屋商事株式会社設立 二代目 山田長四郎代表取締役就任 |
昭和62年 | 三代目 山田洋代表取締役就任 小売り販売から徐々に業務用販売へシフトチェンジ |
平成15年 | 飲食部門 ワイズユースヤマダ創業 飲食店2店舗経営、他プロデュース店多数 |
平成20年 | 株式会社山田屋へ社名変更 |
平成23年 | 四代目 山田大生代表取締役就任 |
平成25年 | 飲食部門 株式会社北海道エンカレッジ創業 |
現在 | 関連を含め酒販店と飲食店3店舗を経営 |
神楽村ヒストリー
明治25年2月4日、北海道庁第5号をもって神楽村が設置されました。
地名の由来はアイヌ語の「ヘッチェウシイ(ヘッチェウシ)あるいは「神々の遊ぶところから意訳に由来し歌舞に合わせてヘイッ!ヘイッ!と囃し立てることで、この場所でいつも歌舞したのでこの名となったとされ、それを意訳し「神楽」となったようです。
開拓初期は畑作が中心であったが明治30年ころより水田耕作に努力を重ねて米が生産物となり、その後、様々な商工業が発達し昭和20年代に陶器の生産が全道の45%を占め広く道内に販出される町となりました。
また町内に営林局(現森林管理局)があり国有林はじめ町有林等の保護が行われておりたくさんの方々が従事されていました。
そして1929年(昭和4年)4月1日 - 神楽村が一級町村制を施行し1954年(昭和29年)11月1日 神楽村が町制を施行して神楽町となり、その後、1968年(昭和43年)3月1日神楽町が旭川市に編入され現在に至り旭川市合併前の人口は昭和45年約20,500人が住んでいました。